日吉神社について

加賀藩・前田家とのつながり

 江戸時代には、代々の前田藩主の崇敬深く、参詣・祈祷・寄進があった。また、社殿の再建が一再ならず行われた。

 鎮座1000年・1050年・1100年の大祭典が行われたことも特筆すべきである。また、氏子の信仰と寄進がその基盤となっていることはいうまでもない。

5代藩主・綱紀(つなのり)公

 元禄年間(1688〜1703)に璽箱の新調をはじめ、神具類の修理・新調をして寄進した。記録に不明な物もあるが、列挙してみると、璽箱(じばこ)・八重畳・茵(しとね)・畳縁大和錦、神具では、旗具・羽車榻(さしば)・神斎札・八ッ足机・幣串軾(しきみ)・守斎弓矢等である。その奉納のための祭典、祈祷については、寛文8年(1668)のとおりに奉幣使を遣わすよう懇願し、また祈祷料として銀子10枚、米10石を寄進した。

6代藩主・吉徳(よしのり)公

 享保17年(1732)が山王社鎮座1000年に当たっているので、閏5/14〜6/7まで14日間1000年祭の神事が執行され、その際藩候は上使を派遣し、報恩の礼を尽くした。

8代藩主・重熙(しげひろ)公

 寛延4年(1751)、大野村の漁師が疫病にかかり、疫病は越中・能登・加賀一帯に流行った。この救助のため、大野村に米30石を貸し与えられた。また祈祷を3月に17日間執行し、御神札・供物などが十村へ渡されてあった。同年9/20から社殿の修理が始まり、9/26に重熙公は御祈祷の神札を奉献し、10月放鷹の折に参詣した。

10代藩主・重教(しげみち)公

 宝暦年間(1751〜1763)、ある年の正月、重教公が疱瘡(ほうそう)を患っていたので、神主河﨑摂津守の御礼の登城が延引となった。そして、藩公の御順痘の祈祷を執行した。

12代藩主・斉広(なりなが)公

 寛政年間(1789〜1800)某年4月、斉広公が御徒歩(おかち)で山王社へ立ち寄り参詣した。また、文化4年(1807)12月、神道大護摩の御祈祷を命じ、白銀2枚を奉納した。さらに、文化11年(1814)9月高張り提灯2帳、釣り提灯2帳の修復を、文化13年(1816)にも同様の修復を命じている。

(以上は、大野日吉神社1250年祭記念誌より抜粋)

 

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